これからも ともに生き、ともに育つ

溝上敦子

わが家の三女のゆうは、6才、小学1年生になりました。就学という大きな節目、境目の今、就学相談の中で私自身が願ったこと、学齢期に望むことを振り返って記しておこうと思います。

1才4ヶ月、ゆうは、まだハイハイもしていなかった頃から保育園で過ごしてきました。しかも私は小学校の育成学級(特別支援学級)に勤務していて朝は8時前から、帰りは6時過ぎまでの長時間保育です。

そんな5年間の園生活の中で、友だちがやっていることを間近でたくさん見て、真似をする。そんな経験を積み重ねる中で、自分のやりたいことがでてきて主張する、拒否もする…そして、いろんないろんな思いを見守り信じて受けとめ、待ってくれた先生たちがゆうのそばには、いてくれました。先生たちから「これはゆうちゃんにはちょっとむずかしいから…」なんて言われたことは一度もありませんでした。「なんでもやってみよう‼やるかやらないかは、ゆうが決めるから」と、年長の時の先生が言っていた言葉に、すべてが凝縮されているように思います。

就学先はおのずと、【地域の小学校の特別支援学級】と強く思っていました。でも、が、しかし、発達検査の数値は「姿勢・運動」以外の「認知・適応」「言語・社会」ともに、すこぶる低く療育手帳の更新では重度の判定になりました。行動面でも大人しく座っているタイプではなく、なんでもさわりに行く、だれの物でもさわりに行く、しかも、自我が強く、〔ほしい〕と思うとちょっとやそっとでは、気が変わらない。

支援学級の体験では、案の定、黒板消しで先生の字を全消しするは、「ちょーだい」の連発で先生がさせようと思うことにはのっていかない。後日の面談では厳しいことをたくさん言われました。

「休み時間が終わっても、ゆうさんが教室に帰ってこないと教師の手が一人とられます。授業を始めることができません。他の7人の子の学習保障をどう思いますか?」「なんでもさわりにいって、他の子の作成中の作品を壊してしまったらどうされますか?」「交流に付き添うことはできないので、一日中、支援級の教室で過ごすことになります。」などなど、挙げ句には、「校外学習だけでなく常時、付き添いをお願いします。お母さんはお仕事がおありでしょうから、おばあちゃんにお願いしてください」とまで言われました。

校長先生からは「地域に知ってもらいたいんやったら、支援学校も居住地交流してるし、それでいいやん。機嫌ようきて機嫌よう帰ってはるよ。」「こんな手のかかる子は、小学校に来ても健常の子とはいっしょに過ごせへんのよ」と、今思い返してもはらわたが煮えくり返るような言葉を浴びせられました。

紆余曲折あり、地域のこの小学校ではなく、隣の車で10分の小学校に通っています。全校児童120人ほどの小規模の学校で、学童も毎日行き、6時半まで過ごしています。朝、車を降りてげた箱に行くまでに何人もの子から「ゆうちゃん、おはよう」と声をかけられます。いっしょに教室に行こう、アサガオの水やりに行こうとも…そのお誘いに全力で応えるので、またまた誘ってくれるという好循環です。

「がっこう、いきたい」「キンコンカンコンしたい」が口癖になり、体育の準備運動を「しーごーしちはち」とあべこべに言いながらフルコースで披露してくれています。ランリュックに自分で荷物を入れ、背負い、黄帽をかぶり、「がっこーいこー」と玄関で催促しています。

学童の先生たちは「ゆうちゃん、ほんとよく見てて、すぐ真似しますね。愛嬌があるからアイドルですよ」って。帰りの車でうたた寝をしてしまい、大急ぎでご飯とお風呂と歯磨きで8時前には熟睡している生活です。刺激いっぱいの毎日なんだと思います。人に囲まれ、人の中で、ともに過ごしてともに育っていくことを何よりも願ってきました。その中でさまざまなことを吸収して、自分の力にし、人に頼る術も身につけていくと信じています。

私自身もたくさんの人に頼りながら〔地域の小学校でみんなの中で育てたい〕という願いを貫き通しています。もし、誰かの心ない言動で同じような願いが打ち砕かれそうな時は、今度は私が全力で支えていきたいと思っています。