成人を迎えて

池田華利那さん

2026.1.12祝 
みやこめっせ『はたちを祝う記念式典』に参加しました。

20年…学校問題、頸椎の手術、食事の事、自傷の事、仕事の事、色々ありました。
2005年5月12日にかりなを産み、障害児の親になりました。その数ヶ月後には幼児教室にいました。

この教室でかりなにお友達が出来、母は相談出来る場所になりました。
保育園、小学校(普通級)、中学校(支援級)、北総合支援学校、そして今はb型事業所で簡単なお仕事をしています。うちの子、人と喋れるようになるんかな?働けるんかな?と心配しましたが、レンタル自転車を拭きに行ったり、シール貼りをしたり、その環境に慣れたら自分で動けているようです。

成人式では振袖をレンタルしました。
『地べたに座らず、泣く事なくよく頑張ったね。』と声をかけると『早く家に帰りたかった、でもがまんした』と言ってました。歩く事が嫌い、大勢の中が苦手、それでも我慢できる事に成長を感じました。成人式がゴールでは無く、この先に進む通り道、成人式が終わった今これからは1人で生きていけるよう準備をゆっくり進めようと思います。そして、同じ二十歳を迎えるお友達と一緒に式典に出れたこと、一緒に成長出来たこと、本当にうれしく思います。

事務局の皆さん
長い間お疲れ様でした。
トライアングルがなかったら
私はどうなっていたか…
何をする時も、幼児教室でまず相談してから…
トライアングルがあったから、私はここまでやってこれました。
本当にありがとうございました。(母・仁美)

栗田昂樹さん

トライアングルに入会して20年!ダウン症を持つ子のお母さんになって20年!
今年度で終わる事務局からこの原稿の依頼を受けて、今まで先輩方の報告を拝見してきたけれど20歳の報告をこの会報でするのも最後になるのか・・・と色々思い返すと寂しい気持ちもありますが良い機会をいただきました。

息子の昂樹は2006年3月4日、胎児心音低下により緊急帝王切開で2002gで生まれました。合併症はなかったものの、ダウン症の子には珍しく先天性両内反足でした。
胸に抱くことすら叶わず緊急搬送されNICUに入院。初めての出産に色々な期待を抱いていた私には予想外の事だらけの出産となり、とにかく早くこの目でしっかり我が子を見たくて、出産翌日痛い体を引きずり搬送先の病院に行きました。
保育器の中の我が子を見る私たち夫婦に小児科医から『正期産でありながら小さく生まれた事、手足の特徴から染色体異常の可能性がある。検査を受けませんか?』と言われ、どこかでそんなはずはないと思う気持ちもあり『お願いします』と即座に答えると同時に自分の身体が地面に埋もれていくような感覚は今も記憶に残っています。

そこから始まったダウン症育児、私は思い描いていた育児との違いになかなか受け入れることができずにいました。生後6カ月頃のある時、私を見てニコッと笑ってくれた昂樹の笑顔にハッとし、この子のお母さんは私だけなのに毎日泣き顔ばかり見せて私は何をしているのだろう・・・と、そこから少しずつ前に動き出しました。
同じ境遇の子を持つ親とは共感できることがあり、きっと私自身を支えてもらえるからと父に勧められてトライアングルに入会。児童福祉センターでのお遊び会にも参加しだしました。(当時お遊び会終了後、みんなで撮った写真は母親の心の内が表情に現れていて、私達の暗黒の時期と今では笑いのネタになっています)
今、私たちが幸せだと思い生活していけているのは、今も親戚並みに気の許せるお遊び会で知り合うことができた仲間のおかげです。 障がい児育児に共感しあい、時には笑い、気兼ねなく泣ける場ができ、そこからぐんぐんと障がい児教育に奮闘し、トライアングル事務局の皆さんには色々知恵をもらい、立ち止まりそうになれば背中を押してもらい、みんなで共に乗り越えてきました。
『その場、その時間を共有することの大切さ』この思いだけを軸に健常児と同じように幼稚園、小学校、中学校と過ごし、支援学校を経て今は2カ所の事業所に通っています。

事業所を終えた余暇にはヘルパーさんと銭湯(しっかり常連さんとも風呂友!)や支援学校の友達とヘルパーさんと一緒にカラオケやボウリングを楽しみ、運動のためテニスにも通っています。

先日開催された『京都市はたちを祝う記念式典』に参加し、その夜には中学校の同窓会にも参加しました。 小中一貫教育校だったので、私にとっても9年間我が子同様に成長を見守ってきた子達が立派になっていて、でもどこか面影のある姿に嬉しくて私が同窓会の気分でした。
昂樹は親の私から見ても引きの強い子で、人に恵まれ、愛されてきました。 同窓会の集合写真で200人ほどの中、センターでみんなに囲まれている様子は大きな花束のようにも見え、周りの子どもたちと共に良い影響を与え合ってきたのだと感じました。

長いようで、あっという間の20年。
泣いてばかりだった私も今ではこんなに図太くなって、まさか自分の人生がジェットコースターのようになるなんて想像もしていなかったけれど、今こうして振り返ってみるといっぱい笑って過ごせているし、健常児の子育て以上に幸せだと実感させてもらえる事も多かったのかもしれません。 まだまだこれから長い昂樹の人生を、より豊かな生活が送れるように伴走していきたいと思っています。(母・智子)

島嵜実幸さん

ご無沙汰しております。私はこの1月14日に成人式に行きました。朝早くから化粧して貰って、髪の毛もして貰って、着物も着せて貰って、お父さんの車で送って貰いました。会場はみやこめっせでありました。人が多くて、なかなか友達に会えませんでした。友達に会えたのは2人だけでした。下京中学校の集まりで人が多くて分かりませんでした。第1回目の成人式が終ると新成人の人が携帯電話でメールや電話していたので、お父さんとかにつながりませんでした。お母さんも私もお姉さんやお父さんにメールや電話を何回もしてようやくつながりました。二条通りをずっと歩いてやっとお姉さんとお父さんに迎えに来て貰って会えました。ホテルにご飯を食べに行きました。着物を着ていたのでお腹がいっぱいかどうかが分かりませんでした。でも美味しかったです。ご飯食べ終って階段で写真を撮って貰いました。家に帰ったのが4時くらいでした。おばあちゃんに報告に行きました。かなり肩がこっていたので温めると楽になりました。かなり疲れました。

少し仕事の事も書きます。
今私は、老人ホームの掃除の仕事をしています。去年の4月からかしの木学園の就労移行班に入って、今ではかなり頑張っています。東分室の中でやってる仕事は内職と就労にめざす為の勉強をしておいます。内職は色んな仕事があります。袋折りや小豆の選別、他にもあります。就労にめざす為の勉強はマナー研修や色んなことを学んでいます。今年の4月くらいで、仕事入ってからもうすぐ1年になろうとしています。(本人)

2年前、姉のあゆみが成人式の写真を「前撮り」した時、「家族写真も撮りたい」と言い出し、おばあちゃんも含めた、家族5人の写真を撮ったことがありました。その時からみゆきは、「次はわたしやな」と期待に胸をふくらませていました。一年以上前から髪の毛ものばし、昨年12月に写真の「前撮り」に、又5人で行きました。とても人気の写真館で、予約してあったのに、1時間半以上待ったかな~。でも、上手に自然な笑顔を写してもらって、かわいい写真がとれました。家族写真もとりました。それを年賀状にして、お友だちや先生にも出しました。

さて、成人式当日は、どんな嵐がくるかと心配していた割には、「みやこめっせ」に着く頃には雨も小降りになり、足許を気にしながら会場へ。私も「つき添わせてくださ~い」と頼んで一緒に会場へもぐりこみました。広~い会場にすごい人数の新成人たち。何千人いたのかなぁ~。みゆきは小・中学校の時のお友だちに会いたい!と楽しみにしていたけれど、ちっとも知った顔に出くわさない。出身中学校別のブースにも行ってみたけれど、結局、「みーちゃん!」と寄ってきてくれたお友だちは2人しかいなくて、残念でした。

式が終って退場時には、みんながいっせいにケータイを操作したため、ケータイが通じず、近くで車で待っててくれるはずの父親と姉に連絡がとれるまでに随分時間がかかりました。ホテルでおそいお昼ごはんを食べて家に帰ってきました。疲れたけれど、何とか成人式は無事に終了しました。

次の土曜日、みゆきは一年以上のばした髪をさっさと切って、久しぶりの「きのこみーちゃん」に戻りました。

みゆきが高校を卒業して、もうすぐ一年。東山にある「かしの木学園就労移行班」で楽しく仕事をしています。老人ホームのそうじ、就労に向けての研修、そして内職といったところが仕事の内容です。仕事でそうじをしているので、家の風呂そうじでも、排水口まで洗ってくれたり、年末のそうじのときは、「お母さん、トイレ、水あかついてるで」とトイレそうじしてくれたのにはおどろきました。

私も早朝の弁当作りから解放されて、随分楽になりました。時間に余裕ができたので、地域の体振で卓球を始めました。強くなったみゆきに負けるのがくやしくて。これからもずっと一緒に卓球できたらいいなと思っています。

みゆきは2月生まれなので本当の20才はも少し先。お誕生日には一緒にお酒飲もうと楽しみにしています。
みゆきと暮らして20年、色んな事がいっぱいあって、面白い20年でした。(母・明子)

巽祐希さん

成人式について

平成二十二年一月十一日は、みやこめっせで成人式がありました。その日は、朝から、ふりそでを着付けてもらいに美容院に行きました。かみの毛をきれいにしてもらい、かざりをつけてもらいました。ふりそでは、しんどかったです。夜、同窓会にいって矢田なるみちゃんと的場めいちゃんに会えてうれしかった。(本人)

祐希は、平成1年6月3日の生れです。昨年6月に20歳を迎えました。そして、今年1月11日に成人式を祝いました。
このイベントは私にとってこの3年間ずっと心待ちにしていたものでした。
3年前、長女が成人式を迎えましたが、そのときは、当日に写真館で美容、着付け、撮影、成人式会場へと誠に慌しく、「これじゃ、祐希はついていけない!前もって周到な準備をしておかなくちゃ」と強く印象に残りました。

まず、身長の低い祐希には長女の着物は裄も袖丈も長すぎましたので、着物から考えねばなりません。また、前撮りをしなくては、とか祐希のことを良く知った美容院でなくては、とか・・・。

そして迎えた1月11日、1年前のお正月から言い聞かせていた晴れの日のこと、早めに起きて支度をして、「メイクしてもらってきれいになる、お振袖を着る」を連発して気分を盛り上げました。普段、朝寝坊の祐希を心配しましたが、ちゃんと早くすっと起きてくれてスムーズに行きました。ともかく会場についてほっとしましたが、人が多い。誰にも知った子に会えず、祐希はがっかりしたようでしたが、出身中学のコーナーに行き、保育園からの友達のめいちゃんや公平君会えてやっと笑顔になりました。夜は同窓会に行って、楽しかったようでした。でも、やはり中学のときの友人たちとは差は歴然としてあり、祐希はいまだに小学生のような感じですが、他の子は大人です。もっと大人扱いをしていかねばならないのかなと感じました。(母・純子)

辻奈緒子さん

奈緒子は今年2月に二十歳になります。昨年末なんと3か所から成人式の案内が家に届きました。宇治市主催の「成人式」、卒業した養護学校の「成人を祝う会」、作業所の「成人式」いろいろな方にお祝いをしてもらい二十歳を迎えることになりました。久しぶりにトライアングルに奈緒子の最近の様子を報告させていただきます。

養護学校を卒業し今、宇治作業所に通っています。進路を決める時には、いろいろなところを一緒に見学したのですが「奈緒子どこに行きたい」と聞くと「宇治作業所」と即答でした。自分で選ぶなんて奈緒子にできるのかなあ?なんて思っていた母でしたが、自分で選んだだけあって、なかまのみんなに、職員の方々に、お仕事にほんとにスムーズになじんでいるようです。作業所ではみしん班で布製品の糸きりをしたりマット織りをしたりしています。そして時には宇治市役所等の販売活動に行ったり、老人の方のデイサービスにパンのサービスに行ったりしています。

働くことをどういうふうに理解するのだろうと思っていたのですが、毎月のお給料日前日には、 「明日給料日!」と作業所でお給料から食べるアイスを楽しみにしていて、お父さんが「奈緒子だけアイス食べられていいな」というと、「奈緒子が働いたお給料やもん」と言い返しています。けれど作業所に行き始めたころに「食べに行こう」と奈緒子が私たちに回るお寿司をごちそうしてくれたこともありました(感激でした)。奈緒子なりに子どもではなく学生ではなく、おとなへと成長しているようです。

休日の奈緒子は、今までから私があっちこっち連れて出ていたのですが。最近はヘルパーさんにお願いすることも増えてきました。小さいころから身体を動かしてほしいとエアロビやバスケット等の活動をさせていたのですが、本当は手を動かすことが好きな奈緒子です。学校を卒業して何か余暇に楽しんでできるものを増やそうと思い、さをり織りの教室に行き始めました。見学して体験させてもらうと、はまってしまい今一番楽しいことのようです。2年間貯めたお給料で織り機を買って家でも織ろうとしています。

そして次に奈緒子のやりたいことはグループホーム(ケアホーム)で生活することです。作業所のお友達の話を聞き「ホームに行きたい」と言い始め、体験入居させてもらいました。お父さんは奈緒子と離れるのがさみしいのか渋い顔でしたが、奈緒子は着々と自立し始めているようです。

20年間いろいろなことがありましたが、あっという間だったような気がします。しんどいことや困ったこともあったと思うのですが、今思うと奈緒子がいるからこそ楽しいことやうれしいことがいっぱいあったように思います。これからまだまだいろいろなことがあると思いますが、奈緒子の毎日を私たちも楽しみながら見守っていきたいと思います。(母・素子)

直田歩巳さん

はたちになりました

11月12日成人の日に行われた〝京都市はたちを祝う記念式典〟に参加してきました。
赤ちゃんのころから共に歩んできたお友だちと一緒に式典に参加できた事が本当に嬉しく感慨深い日となりました。
20年前歩巳が生まれたとき病院のベッドの上で人生どん底お先真っ暗~なんて思って泣き崩れてた私にこんなにも素晴らしく晴れやかな日が待ってるよと伝えたいです。色々大変なこともあったけど本当によく育ってくれたな~と感謝の気持ちでいっぱいです。

歩巳は京都教育大学附属特別支援学校を卒業したあと嵐山にある〝嵐山マルシェ〟というパン屋さんでお仕事をしています。もうすぐ丸2年になります。支援学校時代に培われた自主通学を生かし市バスを乗り継いで通勤しています。毎日たまご焼きを作っていて、そのたまご焼きが入った惣菜パンが販売されています。なかなかの人気だそうですよ。それ以外にも計量や接客や掃除などいろんな仕事を頑張っています。

是非みなさん美味しいパンを買いに行ってみてくださいね。
仕事をはじめて1年目の秋に年に一度の血液検査で引っかかり甲状腺機能亢進症(バセドウ病)の診断を受けました。顕著な症状として体重が急激に減少していたのに…お仕事頑張ってるし夏も暑かったしね~痩せてよかったね~なんて思っていた呑気な母でしたが、しんどかったはずだよと病院で言われ気がついてあげられず申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しばらくは運動禁止になり、薬を飲んでお仕事だけOK の生活でしたが、今はすっかり良くなり薬の量も減り、運動制限もなくなったので和太鼓、ダンスを楽しみながら元気に生活しています。

あっという間の20年だったような気もしますが、節目節目に幼児教室で佐々木さん、島嵜さんから鼓舞激励していただき同い年のお友だちと一緒に頑張ってきました。事務局のみなさんにも大変お世話になりました。歩巳とともに母も育てていただいたと思っています。本当にありがとうございます。

そしてこれからもまだまだ続くであろう歩巳の人生がよりよいものとなるように願うばかりです。(母・美保)

仁木成達さん

二十歳のお祝いをしました!

僕は二十歳になり,1月12日に二十歳を祝う記念式典に行きました。みやこめっせに行きました。
プエルタ(通っている自立訓練事業所)やきらきら園(療育センター)の友達が来ていました。
みんなで写真を撮りました。久しぶりに会えて、嬉しかったです。
「百花繚乱」の踊りを観ました。
上手だけど派手な踊りだなと思いました。

13日にも、プエルタでお祝い会をしました。1回生が僕達のお祝いをしてくれました。花束をくれました。
「二十歳の誓い」で僕は「好きな物を見つける」と言いました。
格付けチェックもしました。お茶を飲んで比べました。僕は、ほうじ茶を当てました。
みんなに祝ってもらえて、嬉しかったです。

夕食はフランス料理でした。プエルタの2回生と職員さんで、レストランへ行きました。
マナーを守って食べました。
すごくおいしかったです。

母には「20年間育ててくれてありがとう。」と言いたいです。
妹には「生まれてきてくれて嬉しいよ。」と言いたいです。(本人)

服部恭子さん

服部恭子です。年末12/22に、20才になりました。年が明けて1/18(日)に、卒業した支援学校主催の成人式が、地元の大垣フォーラムホテルであったので、参加してきました。

思いおこせば、20年前。明日から、とても生きていけないよ!! もう二度と笑える日はこない。と、勝手に思い込み、絶望の淵にいました。月日がたち、あれから20年―。毎日、大笑いして、しっかり生きています。親も強く?厚かましく?なりましたが、子供も明るく元気に育ちました。今こうして、穏やかな日がきた事は夢の様です。島嵜さんや佐々木さんを初め、たくさんの先輩方に助けてもらって、色々な知恵をいただき、ここまで、親子共々、頑張って歩いてくる事ができました。本当にありがとうございました。

思いおこせば、ここでは、書ききれない程の色々な事がありました。その度に、島嵜さんや佐々木さんに、「しんどくなっているのは、親の方じゃないのか!!」と、喝をいれられ、フラフラになりながら、エンジンをかけて、ふと気がついたら、私はモンスターペアレントか?と反省する事もたくさんありました。自分でもこんなにパワーがあった事に感心ですが、今になって、それが良かったのかとどうなのか分かりません。しかし、今だから言えるけど、大変な事もたくさんあったけれど、楽しい20年間でした。

さて、我が子は、今、地元の「あゆみの家」という所に通っています。障害があっても、自分達の意思を大切にしてもらって、何事も一人前にあつかってもらえるので、今まで、できない子とかたづけられたり、否定される事が多かったので、今、一番いきいきしています。

仕事も頑張ってやっています。本人が何より、自分から、ここに行きたい!と決めて、毎日、よろこんでいってくれています。後はこれからの人生の方が長いので、自分の一番よいところで、元気に行ってほしいと思っています。  最後に、これからも、親子一緒に進化していきたいです。先輩方、また、ご指導の方、よろしくおねがいします。そして、後輩の皆さん、答えはその人によって違うと思いますが、私達の歩いてきた道を、頑張って歩いてきて下さい。私達も負けずに、歩み続けていきます。(母)

服部詩穏さん

『前へ』

とっとっとっ・・・
ゆっくり歩く君だけど
今の姿は描けなかった

瞳の奥はキラキラと
しっかり意思を持ち
まさかまさかのその姿

前へ前へと一歩ずつ
確かな歩幅で歩む君

母はまぶしくて
手をかざしてしまうよ

詩穏、そして成人式を迎えられたみなさん、おめでとうございます。 この日がこんなに早く来るとは思わず、親としては、果たして1日1日を大切 にしてきたのかと反省したりもしています。 しかし周りの方々の温かい見守りのお陰で、詩穏は幸せな毎日を過ごしています。
あの小さかったころ、こんな将来は想像もできませんでした。あまり泣かず、母乳、ミルクもそれほど飲まず、病気ばかりのか弱かったあのころからは…

現在娘は自立訓練事業所であるプエルタの2回生です。家からは、乗り継ぎもあって結構な距離を行くのですが、たくさんのことを学ぶ楽しさを感じながら通っています。友だちもたくさんいて、親が近くにいない時間を謳歌しているようです。
これから先、どんなことが待ち受けているか、まだまだ分かりませんが、詩穏は詩穏の人生を今、確かに生きています。
私はこれからも、元気で前を向いて歩いていけるよう、応援するのみです。
泣いて笑って怒って笑って、
好きなことを精一杯して、
どうか豊かな人生を歩んでも行ってね。(母・聡子)

<20歳の詩穏にインタビュー>

1.20歳になってどうですか?
 大人になった気分です。
2.好きなこと、頑張りたいこと
 チェロ 絵 ダンス
3.好きな芸能人
 佐藤健・竹内りょうま
4.好きなドラマ
 ヤンドク・ちはやふるめぐり
5,好きな曲
 ハートビートの呼び声・イルミネーション
6.決意表明
 1人暮らしができるようにがんばるぞ
7.なんでもどうぞ
 マンガを20冊読むこと(今年)
 みなさんありがとうございます。
 大きくなりました。

平野作太郎さん

この度、お陰様で20歳を迎えることが出来ました。生まれて暫くは大病院にお世話になりましたが、就学前はかかりつけ医で済むようになり、小学校へあがってしばらくすると嘘のように健康になりました。(今でも、これからも、大病院の定期受診は続きますが…。)知的面では、親の、私の方に似て、数字がからっきし弱いです。申し訳ない(-_-;)。妄想力は、私に似て抜群です。妄想の中で生きているので、もうちょっと現実を見なきゃあね、と思うのですが、どの口が言ってるねん、と言われそうで、これも、申し訳ない(-_-;)。

親にとっても、出会いと学びを沢山もらえた20年間でしたが、次の20年も宜しく…と、ここまで書いて、20年後って、本人は40歳、うちらは〇〇歳!!
恐ろしい、おちおち夢ばかりも見てられない!!!!!!(母)

平野作太郎です。

いえは、ほとけさまに水をあげているし、せんたくたたみもしているし、ディズニー映画も見ているし、のんびりしています。
サクサク工房は、キツネのシーラもやっていますし、あらいものもしているのですごしています。(本人)

八木和志さん

成人の日を迎えて

1/12はたちを祝う記念式典に出席しました。出席連絡は電話で付き添いありと伝えて、私(母)も一緒に参加してきました。何人付き添いますか?と聞かれたので、両親等で付き添い参加も可能です。入口付近がいいですか?、お友達と一緒に座りますか?等も聞いてくれます。事業所先のお友だちと午前か午後のどちらかを前もって合わせておいたので、一緒に参加することができ、素敵なひとときが過ごせました(暗くて本人ほぼウトウトしてましたが)。車で行く方は駐車場⇔3階会場を係の方が大きいエレベーター経由で案内してくれますが、1階のイベント会場に行きたい方は寄りそびれないよう注意が必要です。イベント会場では懐かしの給食メニューや餅つき、お茶の振舞い、写真撮影場等がありました。撮影場で並んでいると、前に並んでいた子たちが同じ小学校だったようで、声をかけてもらい、一緒に撮影できたりと記念になりました。

和志は、生まれてすぐは心房中核欠損症、クレチン症等がありました。心房は小学生頃に閉じて、甲状腺はチラージンを飲み続けています。今は近視・乱視、滲出性中耳炎、WPW症候群と自閉症傾向(協調運動障害)もあります。

小さい頃は生後7ヶ月位に保育園に行き始め、風邪をもらっては入院を繰り返し、かわいそうに思うこともありました。私は当時、入院先の病院の附属の看護学校に通っていた(受験と同時に妊娠し1年休学→復学)為、入院中は3年の先輩が実習で面倒をみてくれ、可愛がってもらえたのは救いでした。1歳半くらいにもなると風邪ひいても入院しなくなり頼もしく感じました。

また、主人の仕事の都合で引越しを何度かしました。静岡(6年間)→サンディエゴ(1年半)→横浜(4年間)→小5の夏休み明けから京都に越してきました。環境の変化についていけるのか心配でしたが、おっとり和志は、本人なりに緊張することもあったかとは思いますが、あまり動じることもなく、ほぼ楽しんでいたかと思います。どこに行っても人間関係には恵まれ、可愛がってもらえていたと思います。その点は本当に感謝しています。

北総合支援学校で中等部、高等部を過ごし、卒業後の現在はプエルタ(自立訓練施設)に通っており、3年目を目指しています。3年目の間に本人希望のグループホームに向けて、ショートステイ等に慣れていけたらと思っています。その後はアンパンマン好きの和志としては、パン作りの事業所に通うことが希望のようです。

本人は、まだまだ自分の気持ちを上手く伝えることが苦手だったり、スイミングに小1からずっと通っても(高等部時代中断あり)25m泳げなかったり、アナログ時計が読めなかったり、一度覚えて身についたのに少し経つと忘れる等、本当になかなか前にすすまない事色々あります。また、引っ越しのせいで埋もれてしまったのか、協調性発達障害に関しての診断をしっかり説明してもらった覚えがありませんでした。なので、なんでこんな不器用なのか、こんなものなのか、他のダウン症の子と比べたりしてなんでできないことがなぜ多いのか等、私が悩んだ時期も長かったです。

ですが、そんなこともうどうでもいいですね。彼なりにいっぱい努力してくれてきたと思います。何より穏やかでひょうきんで愛嬌があるのが彼のいいところなので、彼の良さを今まで以上に大事にして、今後も楽しく、一緒に成長の階段をスモールステップですすんでいきたいと思います。これからも出会いに感謝し、楽しく過ごせることを心から願います。(母・真由子)